26日に会う予定の相手から、「26日の時間は今日確認して言うね」と連絡があり、ないまま1日が終わった。翌日別のことに関しては返信があったが、26日の時間については返信がなかった。そのことが私を大変いらつかせた。
私のことを大事にしていないからそうなるのか→私は人に大事にされない人間ではない。相手もそんな人間ではない。
「今日」は「確認するね」にかかっており、「今日言うね」という意味ではない→そんな落とし穴があるのか?
忙しくて気が回っていない/仕事能力が低い→その可能性はある。見下げてしまう従来の私の考え方。
直前に連絡したほうが約束を反故にしなくて済む→そう思っている可能性はある。以前相手がそう言っていたことがあった。(だとしたらそこまで言ってほしい)
私も忙しいということに気づいていない。→これでは?
何も考えていない。→つまり上では?
「26日、忙しそうなのでなしでも大丈夫です」→返信はなかった。
送りなおす。
「26日、時間どうでしたか?予定いれられず困ってます」→即返信が来た。
仕事能力が低いのは私のほうだったか。怒っている人のほとんどは、大声を出したいとか人を責めたいとか怒りたいという目的にもとづいて怒っているか、困っている人だというのを本で読んだことがある。私は悶々と自分の感情や相手の感情を読み天秤を釣り合わそうと苦心していたが、本心としては「困っている」だったのだ。
外科の予定が26日にしかいれられないし、手術後に体力配分もしないといけないうえに、センシティブな関係性だから、極力どこで会ってどう過ごすか私はイメトレしておきたかったのだ。コミュニケーション能力が少し上がった瞬間である。かくして26日に会いましょうプロジェクトの骨組みはできた。
別に事前に予定を決めなくても困らないことがほとんどである。昨日も今日も10時に「12時すぎくらいにそっち行くね」と連絡きたがここまでは困らなかった。やはり関係性と会う目的によるんだろう。
人の能力はIQではなくEQなんだという。IQとは質の異なる頭の良さ。
「自分の本当の気持ちを自覚し尊重して、心から納得できる判断を下す能力」
「衝動を自制し、不安や怒りのようなストレスのもとになる感情を制御する能力」
「目標の追求に挫折したときでも楽観を捨てず、自分自身を励ます能力」
「他人の気持ちを感じとる共感能力」
「集団の中で調和を保ち、協力しあう社会的能力」
最近では役員登用の資質の一つに数えられるくらい重視されている能力。
今やけにすっきりしているのは、自分の気持ちを自覚し尊重し相手に協力してもらい調和を保てたからだろう。これぞコミュニケーション。自分自身の感情や他人との関係をうまく処理する能力も知性の一部分だなんて思ったことがなかったし、しかもこれが人生を最終的に大きく左右する知性だなんて…。
EQ、欲しい。
然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、さらにまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒るひとは賞讃される。